SOLD OUT
カルト的人気を誇る名著でありコレクターズ・アイテムの象徴でもある『Tokyo Style』が、初版の刊行から30年以上の時を経て新版として蘇る。
この写真集は不朽の名作であり、本当の意味で人が住まう東京の住居を、ごく親密な距離からありのままに写し出している。初版の贅沢なページ構成はそのままに、装丁を一新して新版を制作。本作のアイコニックなイメージのセレクションが並んだ後には、作者が新たに書き下ろしたあとがきが添えられ、豊かな自己表現をなすアナログ世界を捉えた作品群が喚起するノスタルジアに光を当てて本書は締め括られる。
作者の長年の友人であり、アメリカを拠点として活動する作家のバリー・ユアグロー(Barry Yourgrau)が序文を寄稿。「卑猥なものから奇抜なもの、ファンキーなものからKAWAIIもの」にあふれた東京の「雑然としてひどく散らかった」隠れ家について思いを巡らせる。
本書は、世界有数の大都市が孕む日常へと読者を誘い、我々自身やそのコミュニティとより繋がりをもって生きるための雛形を紹介する。「ほら、座りなよ」と作者は手招きする。「こんな生活も、まあ、悪くないから」と。
TOKYO STYLEの昔といま
Text:Kyoichi Tsuzuki
文章:都築 響一
TOKYO STYLEが初めて世に出たのは1993年のことだった。当時の日本にはまだバブル経済の余韻が二日酔いの頭痛のように残っていたから、そんなときに安くて狭くて乱雑な部屋を100軒あまりも撮影して、あえて豪華なコーヒーテーブルブックに偽装して出版しようという企画に乗ってくれる出版社があるわけもなく、やむをえず自分で初めて大型カメラを買って、クルマを持っていなかったからスクーターの足元に機材を載せて、2年間以上東京の街を走り回っていたのだった。それが僕の写真家としての出発点になり、そうしてオリジナルの出版から30年以上経って新しいバージョンがヨーロッパでリリースされるというのは、小さな奇跡のような出来事に思われる。
あのころ、バブル経済の落とし子のような異様に豪華な居住空間ばかりがメディアで紹介され、いっぽうバブルの恩恵を受けなかった「安くて狭くて乱雑」な庶民の空間はけっして紹介されることがなかった。世の中の大半がそっちなのに、メディアではそれが隠されているという事実——メジャーとは言えないがマジョリティではある——ことを追いかけていくのが、生涯をかけた自分の仕事だと、このとき僕は悟ったのだった。それから30年過ぎたいまになって、やっぱりメディアの大半はセレブや超富裕層のゴージャスなライフスタイルばかりを見せつけるけれど、それは多くのひとびとの暮らしにとってなんのリアリティもない。もしかしたら30年前よりずっとひどい経済格差が当たり前になっている現在だからこそ、30年前の東京のささやかな生活空間がチャーミングに見えてくるのかもしれない。
いまの若者と当時の若者の部屋の違いってなんですか?とよく聞かれる。写真に写っている部屋にはブラウン管のテレビやパソコンのモニター、FAXマシンや固定電話、ラジカセ、大きなステレオセット、ビデオデッキ・・・・・・いまはほぼ絶滅してしまったものがいっぱい写っている。部屋の壁や床には服が積み上げられていて、それはまだファストファッションが存在しなかった時代に、だれもがいまよりはるかに服を大切に、長く着ていたからだった。極小の台所に食材や食器が詰め込まれているのはUber Eatsがなかったからだし、レコードやカセットテープや本や雑誌があふれているのは、SpotifyもKindleもなくて、気に入ったコンテンツはクラウドではなくすべてローカルに、つまり自分の手元におかなくてはならなかったからだった(まだ携帯電話どころかインターネットも普及してない時代だったのだし)。だからこそ、そういう部屋は住み手それぞれの個性の(巧まざる)ディスプレーだった。2024年のいま、同じような家賃の部屋に住む若者を探して写真を撮らせてもらっても、ずっと薄味というか生活感の希薄なイメージになってしまうのは「このひとがなにを着て、なにを読んで、なにを聴いて、なにをつくって食べてるのか」が、部屋からちっとも見えてこないからだ。
TOKYO STYLEからしばらく経ったころ、小さな雑誌のために「部屋(ヘアー)ヌード」という連載をしたことがあった。これは若者たちの部屋に行って、そこでヌード写真を撮らせてもらうという企画で、日本語で「部屋 HEYA」と(アンダー)ヘアーが同音であることから発想したダジャレのタイトルをつけたシリーズだった。
そのころよく通っていたクラブのスタッフや常連さんたちに声をかけて、毎月ひとりずつ撮影させてもらっていたのだが、「脱ぐのはぜんぜんOKですけど、いまちょっと部屋がぐちゃぐちゃで・・・」とためらうひとが多いのにはびっくりした。彼らにとっては、自分の肉体よりも、自分の生活空間のほうがよほどプライベートなのだと、そのとき気づいたのだった。
音楽や映画はストリーミングで、読書は電子書籍で、それもすべてスマホ1台で、服はファストファッションで何回か着たら捨てて、食事はデリバリーで・・・・・・というライフスタイルで、部屋はいったいどんな個性を帯びることができるだろうか。いま、TOKYO STYLEを見直して、こみ上げてくる懐かしさは、なにもブラウン管のテレビやステレオセットが写っているからではなくて、かつては部屋が住み手の個性のもっとも豊かな表象だったから。それは部屋がひとりひとりのヴンダーカンマーだったからなのだ。
hardcover
388 pages
250 x 250 mm
color
2024